はじめに
「なぜ、大人は勉強したがらないのでしょうか?」
多くの企業の人事担当者が、社員の学習意欲の低さに頭を悩ませています。
しかし、少し視点を変えてみましょう。
彼らはプライベートでは、キャンプの動画を熱心に見たり、ゴルフのスコアアップのために本を読んだり、あるいは資産運用のセミナーに参加したりしているかもしれません。
つまり、「学ぶ意欲」がないわけではないのです。「会社が用意した研修」に対してだけ、意欲が湧かないのです。
その原因の多くは、研修の設計思想が「ペダゴジー(子供向けの教育)」のままになっていることにあります。
「先生が前に立ち、生徒は黙って聞く」
「カリキュラムは学校が決める」
「テストのために暗記する」
この「学校スタイル」を、経験豊富なベテラン社員や、日々の業務に追われる中堅社員に押し付ければ、反発されるのは当然です。
大人の脳には、大人専用の「学びのOS」があります。それが「アンドラゴジー(成人学習理論)」です。
本記事では、大人の学習意欲に火をつけるための「6つの原則」と、それをLMSや研修に落とし込むための実践的メソッドについて解説します。
1.アンドラゴジーをひとことで言うと?
アンドラゴジー(Andragogy)とは、一言で言うと「経験を積み、自律した『大人(成人)』が、自発的に学ぶための特性を体系化した学習理論」のことです。
語源はギリシャ語で、「Andr(大人・人間)」+「agogus(導く)」を組み合わせた造語です。
対義語は「ペダゴジー(Pedagogy)」です。「Paid(子供)」+「agogos(導く)」で、児童教育を指します。
「子供には子供の、大人には大人の教え方がある」
これを提唱したのが、アメリカの成人教育学者マルコム・ノウルズ(Malcolm Knowles)です。彼は、「大人は白紙の状態(タブラ・ラサ)ではなく、豊富な経験という資源を持って学習の場に来る」と説きました。
【用語の要約】
- 提唱者:マルコム・ノウルズ(アメリカ)
- 目的:成人の学習効果最大化、自律学習の促進
- 対義語:ペダゴジー(児童教育学)
- キーワード:自己概念、経験、レディネス、内発的動機づけ
2.「子供の学び」と「大人の学び」の決定的な違い
なぜ、これまでの研修はうまくいかなかったのか。それはペダゴジーとアンドラゴジーの違いを理解すれば一目瞭然です。
| 比較項目 | ペダゴジー(子供) | アンドラゴジー(大人) |
| 学習者の自己概念 | 依存的(先生に従う) | 自律的(自分で決めたい) |
| 経験の役割 | 少ない(白紙) | 豊富な資源(学びの土台) |
| 学習のレディネス | 年齢・学年に応じて | 社会的役割・課題に応じて |
| 学習の方向性 | 科目中心(国語・算数) | 課題解決中心(今の問題を解きたい) |
| 動機づけ | 外発的(成績・褒美) | 内発的(成長・満足感) |
これまでの企業研修の多くは、「全員一律に座らせて(依存的)、講師の話を聞かせ(経験無視)、科目を教える(科目中心)」という、ペダゴジーのスタイルでした。これでは大人は動きません。
3.ノウルズの「6つの原則」と研修への応用
ノウルズは、成人が学ぶためには6つの条件が必要だと定義しました。これを満たすよう研修を設計すれば、社員の目の色は変わります。
原則①知る必要性(The Need to Know)
- 理論:大人は「なぜそれを学ぶ必要があるのか」を納得しない限り、学ぼうとしません。子供のように「先生が言ったから」では動きません。
- 研修への応用:
- 研修の冒頭で、「このスキルを学ぶと、あなたの残業が月10時間減ります」といった「Why(メリット)」を徹底的に説明する(ARCSモデルのRにも通じます)。
- 「今のままだと、どんなリスクがあるか」を具体的にイメージさせる。
原則②自己概念(The Learners’ Self-Concept)
- 理論:大人は「自分は自分の人生の責任者である(自律している)」という意識を持っています。他人から「あれをやれ」と管理されることに強い抵抗を感じます。
- 研修への応用:
- 「選択肢」を与える。「動画で学ぶか、テキストで学ぶか選べます」「3つのコースから好きな順序で学べます」。
- 講師は「先生(Teacher)」として教えるのではなく、「ファシリテーター(支援者)」として横に立つスタンスをとる。
原則③経験の役割(The Role of the Learners’ Experiences)
- 理論:大人は多様な経験を持っています。これを無視して「一から教えます」と言うと、「俺の経験を軽視しているのか」とプライドを傷つけます。逆に、経験をリソース(教材)として活用すれば、学びは深まります。
- 研修への応用:
- 一方的な講義を減らし、「グループディスカッション」や「事例共有」の時間を増やす。
- 「皆さんの現場ではどうですか?」と頻繁に問いかけ、彼らの経験知を引き出す。
原則④学習へのレディネス(Readiness to Learn)
- 理論:大人は「今、直面している課題」を解決する必要に迫られた時、最も学習意欲が高まります(レディネス=準備が整う)。
- 研修への応用:
- 「入社3年目で壁にぶつかった時」にリーダー研修を行うなど、タイミング(Just in Time)を見極める。
- まだ必要のない知識(例:新人に高度な経営戦略)を教えても、右から左へ流れてしまう。
原則⑤学習への方向付け(Orientation to Learning)
- 理論:子供は「科目(教科)」を学びますが、大人は「課題解決」を学びます。「英語」を学びたいのではなく、「来週の海外出張を乗り切りたい」のです。
- 研修への応用:
- 研修タイトルを「ロジカルシンキング講座(科目名)」ではなく、「会議時間を半分にする思考術(課題解決名)」にする。
- カリキュラムを理論体系順ではなく、「よくあるトラブル事例」順に構成する。
原則⑥動機づけ(Motivation)
- 理論:昇進や昇給といった「外発的動機」も有効ですが、大人にとってより強力なのは、自尊心、自己実現、生活の質の向上といった「内発的動機」です。
- 研修への応用:
- 「テストに受からないと怒られる」という恐怖訴求ではなく、「これができれば、もっとクリエイティブな仕事ができる」という未来のポジティブな姿を見せる。
4.アンドラゴジーに基づいた「LMS活用法」
「自律学習」を前提とするアンドラゴジーは、eラーニング(LMS)との相性が抜群です。
逆に言えば、LMSを使って「管理」しようとすると失敗します。
①「カフェテリア形式」の提供
全員に同じコースを強制配信するのではなく、多様なコースを用意し、「手挙げ制(自分で選んで受講)」を推奨します。
「自分で選んだ」という自己決定感が、学習完了率を高めます。
②マイクロラーニングによる「Just in Time」
「困ったその時」に学べる環境を作ります。
クレーム対応中に「どうすればいいんだっけ?」と思った瞬間に、スマホで3分の解説動画が見られる。
これこそが、大人が最も学びたい瞬間(レディネス)を捉えた学習提供です。
③アダプティブ・ラーニング(テスト免除)
「知っていることを教えられる」苦痛を取り除きます。
事前のプレテストで満点を取ったら、「あなたはこの章を学ぶ必要はありません」とスキップさせる機能を活用します。
「あなたの経験を尊重しています」というLMSからのメッセージになります。
5.研修講師(ファシリテーター)の心得
アンドラゴジー型の研修では、講師の役割が劇的に変わります。
「知識を授ける賢者(Sage on the Stage)」から、「傍らで支援するガイド(Guide on the Side)」への転換です。
- 教えない:答えを教えるのではなく、「皆さんの経験ではどう解決しましたか?」と問いかけ、参加者同士の学び合い(ピアラーニング)を誘発する。
- 否定しない:参加者の発言が理論と違っていても、「現場ではそういうケースもあるんですね」と、まずはその経験を受け入れる。
- 環境を作る:「何を言っても馬鹿にされない」という心理的安全性の高い場を作ることに全力を注ぐ。
6.よくある失敗と対策(FAQ)
- Q1.新入社員研修にもアンドラゴジーは適用すべきですか?
- A.ケースバイケースですが、新入社員(特に学校を出たばかりの人)は、まだ経験が浅く、自己概念も依存的です。最初はペダゴジー(手取り足取り教える)で始め、徐々にアンドラゴジー(自律学習)へ移行させるのがスムーズです。
- A.ケースバイケースですが、新入社員(特に学校を出たばかりの人)は、まだ経験が浅く、自己概念も依存的です。最初はペダゴジー(手取り足取り教える)で始め、徐々にアンドラゴジー(自律学習)へ移行させるのがスムーズです。
- Q2.「自律学習」に任せると、誰も勉強しないのでは?
- A.確かに、放任すれば楽な方に流れます。だからこそ、ARCSモデルと組み合わせて「魅力的な動機づけ」を行ったり、キャリア面談とセットにして「学ぶ必要性(Need to Know)」を個別に腹落ちさせるプロセスが必要です。「放置」と「支援」は違います。
- A.確かに、放任すれば楽な方に流れます。だからこそ、ARCSモデルと組み合わせて「魅力的な動機づけ」を行ったり、キャリア面談とセットにして「学ぶ必要性(Need to Know)」を個別に腹落ちさせるプロセスが必要です。「放置」と「支援」は違います。
- Q3.ベテラン社員が研修中に「俺の若い頃は…」と自慢話を始めます。
- A.それは「経験を認めてほしい」というサインです。無下に遮らず、一度受け止めた上で、「貴重な経験ですね。では、今の環境変化(DXなど)に合わせて、その経験をどうアレンジできるか議論しましょう」と、新しい学びへのブリッジに活用してください。
7.成功のカギは「自律」を支えるプラットフォーム
大人の学びを成功させるには、「学びなさい」という命令ではなく、「学びたい時に学べる環境」というインフラが必要です。
クオークのでは以下のようなご支援が可能です。
- レコメンド機能:AIが個人の学習履歴やキャリア志向に合わせて、「今のあなたにおすすめの講座」を提示。
- ナレッジシェア機能:社員が自分の経験やノウハウを動画にして投稿できる、CGC(UserGeneratedContent)機能。
- スキル可視化:「何を学べば、どのポストに行けるか」を可視化し、内発的動機を刺激するキャリアマップ連携。
「やらされ研修から脱却したい」「社員の自律的なキャリア形成を支援したい」とお考えのご担当者様は、ぜひご相談ください。
8.まとめ
- アンドラゴジーとは、経験豊富で自律的な「大人」のための学習理論。子供向けのペダゴジーとはアプローチが真逆。
- 「知る必要性(Why)」を伝え、「経験」をリソースとして活用し、「課題解決」中心のカリキュラムにすることで、大人は動き出す。
- 講師は「先生」から「支援者」へ。システムは「管理」から「自律支援」へとシフトする必要がある。
▼次のアクション
「アンドラゴジーに基づいた管理職研修を設計したい」「自律学習を促すLMSを探している」とお考えのご担当者様は、ぜひお気軽にご相談ください。
9.関連用語
- [インストラクショナルデザイン]
- [ARCSモデル]
- [経験学習モデル(コルブ)]
- [マイクロラーニング]
- [ピアラーニング]
- [自己調整学習]



